【日々のあれこれ、あてどなく。】

ジャンルに捉われず、自由に書いていきます。

想像力の共有地<コモンズ>

少し時間が空いてしまったが、先日のイベントのことをざっくりまとめておく。

国立新美術館(六本木)で開催された「文化庁メディア芸術祭」のシンポジウム第1・2部に参加してきた。



第1部は「日本のエンターテイメントーフィクションの神話/ゲーム的想像力」というテーマ。
登壇者は、津田大介さん×イシイジロウさん×さやわかさんのお三方。

「ゲームに対する意識の高まり」という切り口から、昨今のソーシャルゲームブームについて言及。
それらがライトノベルなどにも影響を与えているというのが興味深かった。

イシイさんが携わった『428ー封鎖された渋谷でー』や『タイムトラベラーズ』というゲームソフトを挙げ、サウンドノベルの発達背景や開発秘話が語られた。
中でも面白かったのが、これらのソフトが「群像劇のゲーム化」をしているという話。
「ゲーム中でプレーヤーが選択した行動が、他の登場キャラクターたちの行動(大げさに言えば人生)にも影響を与えるのは、まさに現実社会と同じだ。」という指摘にはなるほどと思った。
主人公にとっては、Aというアクションをとるかとらないかに大した意味がなくても、その行動いかんで他のキャラクターの選択肢が狭められたり、予期せぬ事態が起こったり。
どこで小さな歯車が噛み合い、運命が音を立てて動き出すかはわからないのだ。

その後、今回の受賞作品でもある津田さんの『ゼゼヒヒ』というウェブサービスに話は移る。
原発を今すぐ廃止すべきか?」などのような社会的なお題に対し、賛成か反対の2択から選んで、投票するシステム。
任意でその理由をコメント欄に残すこともできる。
このシステムについて、さやわかさんが「非常にゲーム的」であると指摘されていた。
日本人が好きな「どちらでもない」という選択肢をあえて排除し、2択にすること(ゲーミフィケーション)により、「グラデーションの可視化」と個々の「意見表明」をさせることに成功していると。

最後に、『魔法少女まどかマギカ』や『ひぐらしのなく頃に』などの斬新さについて触れたり、インターネットの登場・進化の明暗について語って終了。

メモが追いついていない部分や、本当においしい部分はここには書いていないが、ゲーム(ゲーム的なもの)と現実が相互に影響しあっているというメッセージには深く納得させられた。



第2部の「ジャパン・コンテンツとしてのコンテンポラリー・アート ージャパニーズ・ネオ・ポップ・リヴィジテッド」に関しては、村上隆さんの独断場に近かったので割愛(笑)
ファシリテーターの能力が低すぎたのもあるけど、収集のつかない事態で強制終了ボタンを押された感じだったw
村上さんの主張は、「日本人は現代美術の文脈を知らなすぎるし、知ろうともしていない。だから、これ以上は日本で作品を発表する気もないし、彼らを啓蒙する気もなくなった。」というもの。
自分も明らかに相手にされていない側の人間ではあるが、彼が絶望している理由には納得できた。


かなり雑だが、自分用の忘備録のようなものなので、この辺りにて終了。
拙い文章ですみません。