【日々のあれこれ、あてどなく。】

ジャンルに捉われず、自由に書いていきます。

洋画の邦題にみる、広告的センス。

最近観た、2つの映画にまつわる考察を書いてみる。

ちなみにネタバレはない。


①『アナと雪の女王』(原題"FROZEN")

②『LIFE!』(原題"THE SECRET LIFE OF WALTER MITTY")


①の場合、原題のままのポスターをみて映画を観たいの思う日本人は、ディズニーファンを含めてもほんの一握りだろう。

"FROZEN"という単語自体が、あまり日本語として定着していない感もある。

「フローズンヨーグルト」の「フローズン」だよと言えば、若い人ならわかるかもしれない。


②の場合もまた、原題をストレートにみても「ウォルター・ミティなんて言われても知らないし、誰かの伝記を映画化したの?」と思われるのが関の山だろう。




①では、主要登場人物を2人挙げた邦題にすることで、ストーリー展開における想像の余地を広げている。(丁寧なタイトルに意訳・肉づけするタイプ)


想像の余地を広げるという目的においては①同様だが、②では逆にエッセンスを抽出することでそれに成功している。(シンプルなタイトルに削ぎ落とすタイプ)


"FROZEN"とは異なり、"LIFE"という英単語は、それがカタカナであれアルファベットであれ、我々が日常的に目にする言葉。

それゆえ、原題の"THE SECRET LIFE OF WALTER MITTY"と言われるよりも、『LIFE!』とした方が言葉の解釈が広がる。


邦題のつけ方におけるアプローチこそ正反対だが、目指すゴールはひとつ。


それは「一人でも多くの人に作品に関心を持ってもらい、観客動員数を伸ばす」こと。


予告映像やポスターのデザイン・キャッチフレーズはもちろんだが、洋画の邦題のつけ方こそ、最も広告的センスが求められるのではないだろうか。




余談であるが、『アナと雪の女王』に関しては、原題の"FROZEN"がダブルミーニングになっている。


そういう意味でも、日本語直訳の限界があるし、逆にそれを理解できた人はより深い感動を得られるわけだ。