【日々のあれこれ、あてどなく。】

ジャンルに捉われず、自由に書いていきます。

コピーライターを目指すきっかけになった広告の話

今日、1月28日は「コピーライターの日」。 

1956年の今日、「万国著作権条約」が公布されたことが制定理由みたい。 

この条約で、著作物に"Copyright"(著作権の意味)の頭文字である"C"を丸囲みした"©"を付記することが定められたことから、「コピーライト」を「コピーライター」にかけて「コピーライターの日」になったとのこと。

そんな記念日にちなんで、表題の話を書いてみる。

 

僕は幼いころからテレビっ子だったから、TVCMをメインに広告自体には人並み以上に触れてきたと思う。

コイケヤの「ポリンキー」やNECの「バザールでござーる」(ちなみに両方とも佐藤雅彦さんというCMプランナーが携わっていた)、セガの「セガサターンせがた三四郎」、ライフカードの「ライフカード」など、今でもはっきり覚えているCMは多い。

そんな中でも、おそらくコピーライターという仕事への憧れを抱く決定的な要因になったのが、2008年の河合塾・夏季講習のポスターにあったコピーだ。

 

君はいま、

「どこまで行けるか」を

試すこともできるし、

試さずに過ごすこともできる。

 

君の、

志望する、

人生のために。

河合塾 


僕が敬愛してやまない、児島令子さんというコピーの女王様がお書きになったもの。

ちなみに彼女、earth music & ecologyの「あした、なに着て 生きていく?」というスローガンを書いた人と言ったら、広告に興味のない人でもわかるかも。


2008年、大学2年生だった当時の僕は、かなり悶々としていた。

高校卒業を間近に控えた時期、滑り止めと思ってオープンキャンパスにも行かず、所在地もなんとなくしか知らなかった大学にしか合格しなかった。

そこに入るか、浪人するかの選択を迫られた結果、滑り止め校にストレートで入学することに。

僕の通った大学はやりたい勉強ができる環境ではあったが、愛校心はほかにある(在籍すらしてない学校に対して愛校心というのも変だけど、まさに気持ちはそれだった)という何とも複雑な心境。

心のどこかで、まだ仮面浪人を考えていたりもした。

そんな時に、電車の窓の横にあったポスターがこの河合塾のもの。

何の気なしに読んだコピーに頭をぶん殴られた。

本来であれば、「河合塾の夏期講習で、自分の限界まで受験勉強に取り組んで、志望校を母校にしましょう!」という意味合いなのだろう。

それを僕は、「今ある環境でもできることっていっぱいあるんじゃね?じゃあ、この大学に残って卒業を目指すにしても、周りの人間がやってないことを突っ込んでやってやろうぜ!」という謎のポジティブ解釈をして、ひとりでテンション上がってた(笑)

結果、環境的不満をバネに、いろんな(変な)ことにチャレンジできたし、フットワークの軽さを身につけて、学外の友だちもいっぱいできた。


もちろんこのコピー、第一の意味としては受験生に向けたメッセージなのだろう。

だが、捉え方によっては人生のあらゆるシーンに当てはまる言葉でもある。

「たった数行の文章で、こんなにも衝撃 を与えられるんだ!そんで、下手したら誰かの人生変えちゃいかも!」といたく感銘を受けたわけだ。

もちろん、その当時はコピーライターなんていう職種を明確には知らなかったし、なんとなく広告をつくる仕事って面白そうだなって感じてたくらいなのだが。

ただやっぱり、後になって振り返って考えた時に、自分のターニングポイントになったのは間違いなくこのコピーなのだ。

たぶんこれからも、何かに迷ったり、しんどい場面にぶつかるたびに、このコピーを頭の中で唱えているだろう。

いつか、自分もこんなコピーを書いて、誰かの人生を(いい意味で)あらぬ方向に変えてみたい。